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南アルプスの女王 仙丈ケ岳

えらい大袈裟な通称をつけられた仙丈ケ岳。日帰りで登ってまいりました。

花が有名らしいですが、梅雨真っ盛り。とくに咲き誇るお花畑もなく、ハイマツ近辺はブンブンと虫が大量に飛んでおりました。何匹か口に入ったし!!

まあ、梅雨の合間。振られない、いや、降られないだけよかった。晴れではなかったけど360度の展望はあったしね。

女王のイメージはいろいろあるとおもいますが、360度いい男に囲まれているあたり、やはり圧巻の女王の佇まい。
まわりにはイケメンの甲斐駒君、のっぽの北岳君、地味だけど頭がいい感じの農鳥君、お調子者の間ノ岳君。隣のクラスの塩見君、遠くから見守る富士先生(もういいって??)。みんなどうやら彼女にメロメロのようです。女王恐るべし。誑かしてます。立ってるだけで。男は馬鹿ですな。単純極まりない。
メロメロは死語でしょうか?

あれ?なんの話だ。山の話だ。

帰りのバスの運転手さんは「穂高さん」でした。
「でもさー。俺、山嫌いなんだよね。登んないし。全然よくないよこういうの」俺みたいな乗客に突っ込まれてるんだろうなー「穂高さんなのに南アルプスなんですか?」って。
めんどいよね。ごめんなさい。

ん?なんの話だ?山の話だ。

今年もまたアルプスに通う季節がやってきた。

さあみんな山に行こうぜ!

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退屈な6月と紫陽花

みなさんおはようございます。お暇な方の朝のお供「常酔亭日乗」です。

久々の更新です。6月は嫌ですね。雨が多くて。

この土日は珍しく晴れており、夏の訪れを感じます。「波乗りジョニー」です。青い渚を走って恋の季節がやってきます。TUBEの歌が聞こえてきます。「あー夏休み」暑苦しい。

 

さて、最近わたくしは早起きでして、朝から呑気に、じいさんよろしく散歩なんぞしているわけですが、ほんの数十分の散歩の中に季節の移ろいを感じるわけです。サンダルでペタペタと歩きながら春は桜を一人で愛でたり、冬は寒さを一人で感じたり、秋は一人で紅葉に感動したりとまあ情緒ある散歩です。いちいち「一人で」って書かなくてもいいですが散歩は一人にかぎります。

 

今日は梅雨の晴れ間ということでこれまたのんびり散歩してましたが、まあ、綺麗に咲いておりました。アジサイが。漢字で書くと「紫陽花」です。漢字のほうが色っぽいというか花の艶を感じますね。

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のんびり歩きながらふと、紫陽花についてググったりしてみました。散歩しながらスマホはもはや現代病です。

いやー驚きました。なんと「あじさいには毒がある」とのこと。厚生省のHPにのってるぐらいなのであるていど信用できる情報でしょう。

花に青酸カリ的な成分が入っているらしく、食わなきゃいいってだけのことで別に剪定とかそういうことにはなんの影響もないらしいのですが。刺身のツマに紫陽花が飾ってあっても食べてはいけないとのこと。酔って紫陽花食べて痙攣しないようにしましょう。

まあよく言う「きれいな花には毒がある」ってやつです。

 

あと、ちょっとショックだったのが花言葉。

紫陽花にもいろいろ種類があるのでいろんな花言葉があるのだけれど総じて印象がよくない。

「移り気」「冷淡」「辛抱強さ」「冷酷」「無常」「高慢」

なんでしょうねえ。なんというか「まわりから高嶺の花といわれているけど嫌われがちな女性」的な印象を受けますねえ。それでもこういう花に惹かれてしまうのはアホな男子の習性でしょうか。

ん?何の話だ?

 

話をまとめると「梅雨はじめじめ、紫陽花には毒があり、ぼーっとしていろんな毒気にやられないようにしましょう」ということです。

 

まとまってねーや。退屈な朝の物思いでした。

それではみなさん、よい日曜日を!!

「『歌うクジラ(上)(下)』村上龍著 読了(2013年10月24日)」

まだKindleといった電子書籍もあまり一般的でないときにipad限定として電子書籍にて先行発売されたことで大きな話題を読んだ本である。ページをめくっていくとそれに合わせたBGM(坂本龍一担当!!)や画像が合わせて流れ、その小説の世界観を拡げようと試みた野心作らしい。

僕自身は電子媒体では小説は読んだことがないのでそれについて語ることは出来ない。興味はあるけれど、まだまだアナログな紙媒体が好きなのである。ということで、やっとこさ紙で文庫化されたので手にして読んでみた。

これは、村上龍の圧倒的な想像力によって描かれる今から百年後の暴力と虚無に支配された世界である。

正直な感想を言えば、ものすごい違和感と嫌悪感が混ざった複雑な感覚に導かれ、読後とても疲弊した。描かれる世界はわかりやすい言葉でいうと「エグい」というか、読みながら、ついていくのが精一杯だった。
助詞を崩した極めて読みにくい会話。あまりにも過激な描写と世界。 最近穏やかで静かな小説ばかり読んでいたので今の自分には刺激が強すぎた。

昔、同じような嫌悪感を感じたのが、他でもない村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を読んだ時だった。その荒廃的な内容に、当時高校生だった僕は読み進めながら何度もその世界から目を背けたものだ。

それから二十年がたち、結構なジャンルと量の小説を読んできたつもりだが、まさか同じ作家に二十年前と同じ感覚を呼び起こされるとは思わなかった。こういうことは他の作家では経験したことがない。

村上龍は日本代表する作家だけれど、その理由を身体的に感じた(それが嫌悪感であっても)読書だったかなって思う。この小説が十年二十年を経てどういう評価をされるかはわからない。ただ、思うに村上龍の小説は、同時代に読むことにこそ強い意味があるのではないだろうか。(了)

「男のヨガ」(常酔亭日乗2013年10月26日)

なんだよ!今週よていないのかよ!!ってことで冴えない週末が続いてる。そんなわけで今日のテーマは男のヨガである (どんなわけだよ!!) 。

僕は、生活に運動が欠かせない人間ではあるのだが、何か能力を伸ばそうとしたときに必ず弊害になるのが異常に硬い身体である。一時期ストレッチを毎日やっていて結構柔らかくなったのだが、暫く休むとすぐに硬い身体に戻ってしまう。それではボルダリングが上手くならないので、柔軟性を上げようと遂に購入した本がこの「男のヨガ入門!!」である。

前々から「ヨガ」というのには興味があったのだが、どうしても世間的には「ヨガ=女性」のイメージが強いし、事実ほとんどのヨガの本は本屋では女性誌や美容のコーナーみたいなところにあってなんか近寄ることも出来ない(笑) 周りでヨガやってる男になんてであったこともない。一回ストレッチ用に「ヨガマット」を買おうかと、スポーツ店のヨガコーナーに行こうと試みたこともあったけれど、これまた売場は女性ばかりで近寄れず、遠くから眺めることしか出来なかった。

こりゃあ、自分でやるしかないと思い、本屋の美容コーナーではなく、スポーツコーナーにあった本書を勇気を出して買った次第だ。DVDも付いていて丁寧そうだったのも購入の動機。

早速、家路を急ぎ、DVDを再生。ヨガをするお兄さんのポーズを真似てヨガをしてみる34歳。自分でも思うが、これはかなり不気味な光景である。
それはさておき、全然入門でもなんでもない!!最初の「やさしいハトのポーズ」すら股関節が壊れるかと思った。そもそもこの「やさしい」はポーズを修飾しているのではなく「ハト」を修飾した言葉なのではないかと疑ってしまう。だって、事実やさしくないから。実感は「小難しいハトのポーズ」である。機嫌の悪いハトである。

その後も一応一通り約一時間のDVDに合わせてやってみたけれど、まともに出来たポーズは「おやすみのポーズ」くらいだ。んでもって、結果、今、胸筋が異常に痛い。胸骨の周りが痛い。無理してやって痛めたようだ。柔軟性を上げようとして故障した。。完全に本末転倒である。もうヨガは暫くいいや。。。

胸が痛むのは恋の病だけにして欲しいものである。お後がよろしいようで。。(了)

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「『オー!ファーザー』伊坂幸太郎著 読了」 (常酔亭日乗2013年7月8日)

伊坂幸太郎は優れたストーリーテラーである。初めて「オーデュポン祈り」を読んで衝撃受けてから、ずっと彼の本は読み続けている。
ファンの方も多いのでは?

本書に限らずどの本も読みやすく、毎回読み進める手が止まらない。純粋なミステリーというわけでもなく、例えば東野圭吾のような謎解き的要素は少ないけれど、想像したこともない設定(本書ではお父さんが四人いるという奇妙な設定)から織り成される、先が想像できない小説は、他に類を見ない。

彼の作品が、映画化は困難と言われながらも多数映画化されている事実は、作品そのものに人を惹き付ける大きな魅力があることを証明していると思う。

本書の内容はファンの方の為にネタバレを避けて書きませんが、まあ面白かった。登場人物の四人のお父さん達の言動は含蓄があるようで押し付けがましくない。軽快なテンポで交わされる息子との会話は笑ってしまうことしばしば。一人一人のキャラクターが愛すべき人間達で、まるで落語の登場人物みたいに憎めない。

いろんなジャンルの本を読んで世の中を考えたり、知識を増やしたりする事も楽しいけれど、純粋にストーリーに身を委ねる読書は、その世界に没頭することで逆にリラックス出来るし、ストレス発散なっていいものである。

純文学といわれるものには違和感を感じる人も多いかと。そんな人にこそ、堅苦しくなくテンポのいい、伊坂幸太郎の小説がお薦めです。(了)

平日の午後

平日の午後に休んで家にいると、自分の普段とは違う日常が流れていることを実感する。そしてそれは仕事に追われる日常とは異なり、こんなにも時間というのはゆったりと流れているものなのだと気付く。近所の高校からは吹奏楽部の練習の音が聞こえ、下校中の子供達の声が聞こえてくる。スーパーの店内は夕方の買い出しで慌ただしかったけれど、買い物に行って帰ってきても、たかだか30分だ。 同じ30分でも会社にいたら全く違うスピードで時間は流れていく。

よく「時間活用術!」「スキマ時間を有効に!」と世の中は効率よく物事を進めることがいかにも大切で重要なことだと声々に叫ばれているけれど、果たしてそれは正しいことなのだろうか?確かに仕事を効率よく進めることは大事だし必要なことだ。けれどその考え方だけに支配されて、日々の時間を埋めることだけに生活が支配されていたとしたらそれはとても窮屈だ。そこから豊かな発想や想像は生まれない。考え方の幅も、時間を埋めていくことに支配されて逆に拡がらないだろう。おおいなる無駄から生まれるなにかもあるはずだと思いたい。

決して時間活用術を否定する気はない。けれど、「ああ、今日の夕陽は綺麗だな」 と思える余裕や、「自分の部屋からもこんなに綺麗な夕陽がみえること」に対する気付きくらいはもてるような、心にゆとりをもった時間の流れを自分の中に持ちたいものである。

「復興の書店」 稲泉 連著 読了(2012年11月16日)

被災した数多くの書店の復興への道のりノンフィクション。

僕は本が好きです。読書が好きです。文学が好きです。そして書店が好きです。もはやそれは生活の一部であり、大袈裟だけど生きることの一部でもある。そう、生きるために日々食事をするように。

けれど、一時、丸3ヶ月以上小説とか、好きだった本を全く読まなくなった時期がある。

それがひたちなか市での被災直後3ヶ月。当事は食糧を求め、街を駆け巡ったり、茨城から東京へ戻ることもままならず、仲間とも家族とも連絡が途絶えた日々が続いてた。当然のことながら読書なんてする余裕はなかった。実家に何とか戻り、長い二週間の自宅待機中でも、メディアから流される震災の映像に釘付けで、有り余る時間を読書に費やそうなんて全く思わなかった。

けれど、逆に現地の避難所では食糧や生活物質の供給が落ち着くと、それと同じように活字が求め始められていた。プライバシーのない生活。ストレスのたまる集団行動。そんななかで、いっときでも一人の時間に没頭できる読書を人は求め、ネットも電話もままならないなかで、人は活字の情報を求めていたことがこの本からよく伝わる。勿論、文学だけでなく本屋が扱う地図や、求人情報紙。中古車情報紙のように必要に迫られたものもあるが、子供達に日常を少しでも取り戻させようと、児童書や漫画も多く求められていた。

きっと書店や読書は”小さな日常”を取り戻せる場所と行為だったのだろう。

僕自身、読書を再開しはじめた時に初めて「いつもの自分が却ってきた」と思えた。

以下、表紙の言葉です

「本の力を借りて
言葉の力を借りて
そして私たち自身が元気でいれば
誰かの涙を乾かすことくらいできるんじゃないかな」

心おきなく読書ができる今の日常に感謝。小さくても頑張ってる地元の街の書店に感謝。

「やし酒のみ」 エイモス・チュッオーラ著 岩波文庫読了(2012年11月24日))

ジャケ買いならぬ、題名買い!!そもそも「やし酒のみ」ってなんだ!?、、てのが購入の動機。

これがまた凄い小説だった。完全に心を鷲掴みにされた。

粗筋はこう。

やし酒(ココナッツのお酒)を飲む事しか能がない男が、死んでしまった自分専属のやし酒造りの名人を呼び戻すために「死者の町」へ向けて旅に出る。

という話。

もう出だしからぶっ飛んだ設定。この主人公、同時期に父親も亡くすのだが、まったく関係なし。呼び戻したいのはあくまで「やし酒造りの名人」。
そして彼が住む「死者の町」へ向かうまでに奇妙な生き物や神と出会い、数々の恐怖と戦っていく。

これはアフリカ文学らしいのだが、森林(ブッシュ)に対する畏敬の念が色濃く表現されていて、日本の山岳信仰に似たものを感じた。出てくる生き物たちも「百鬼夜行」のようだ。イザナミ、イザナギの「古事記」にも共通するものがある。

きっとアフリカの民話とかを知っていたら、さらに理解が深まったであろう。

また、新たな作家に出会えた。こういう瞬間は読書していて本当に嬉しい瞬間だ。新しい世界が一気に拡がる!

「本へのとびら ー岩波少年文庫を語る」宮崎駿著 岩波新書読了(2011年12月4日))。

ジブリの宮崎駿がお薦めの岩波少年文庫について熱く語っています。少年少女時代に岩波少年文庫を食い入るように読んだ方も多いのでは?そんな方は是非手にとって見てください。紹介されている表紙だけで当時読んだ記憶が蘇ります。
「ドリトル先生航海記」とか「星の王子様」とか「飛ぶ教室」とか、数え上げればきりがない名作揃いの岩波少年文庫。実家で読み返そうと思ったけど、全て僕より後から生まれた従兄弟たちにあげてしまったとのこと。残念。

唯一、僕が一番のお気に入りだった「冒険者たち」が宮崎駿の選に漏れたことが不満でなりません。

「遠い山なみの光」 カズオ・イシグロ著 早川書房読了(2011年12月21日)

久々の小説。このところノンフィクションばかり読んでいたので何となく新鮮な気持ちでフィクションの世界に浸ることが出来た。
とはいえ、内容はリアリズム。読後感は決して爽やかではない。人生における転換期において、人がどのように自己の過去を振り返り、その記憶を精算していくか。そういう誰にでも起こりうる感情、状況を一人の女性の記憶と現在を通じて表現している。
けれど、最後まで現実と記憶のなかの風景は決して直接リンクしているようには思えず、過去と現在が分裂しているような感覚のまま終わった。ここらへんは読む人によって感じ方が変わるのだと思う。

 カズオ・イシグロは1954年に日本の長崎に生まれ、五才まで日本で過ごし、その後家族と共にイギリスに渡り、83年に英国籍を取得し今では英文学界ではなくてはならない存在となっている(らしい)。
本小説も著者のその幼少の記憶をベースに書かれているのだと思う。これから全作品を読み進めていく予定。村上春樹が好きな人であれば、とっつきやすい作家かもしれません。