カテゴリー別アーカイブ: 書評

「窓の魚」西加奈子著 読了2015/8/11

友達ともなんともいえない四人、二組の男女が一緒に温泉旅行に来たその一晩の心の動きを、各々の視点で同時間を描いている。 全てを通して1つの小説としても読めるし、四つの短編としても読める。
そして四つを繋ぐ1つのシーン。猫と鯉と女。それがこの小説のポイントだろうか。

ただただ、淡々と描かれる四人それぞれの視点の夜。薄暗い温泉旅館のイメージとそれぞれが抱えている黒く暗いものが重なり、その過去を暗くとも鮮明にする。

日常と非日常の境目が曖昧になったその旅館自体も暗い歴史でなりたっている。

人は単純明快な明るさだけではなく、複雑さも持ち合わす。
人と人が関係を築き上げるとき、共に時間を過ごすとき、それぞれの思いや考えていることが重なることは難しい。各々の過去が今を邪魔することもある。

そんな暗い気持ちを持ってしまった読後感だった。決して明るい小説ではないから万人には薦めないけれど、人が抱える過去の複雑さ、トラウマと付き合うことを深く考えさせられた小説だった。

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「教団X」中村文則著 読了

長い長い小説。ページ数567。読了まで要した日数2週間。
その圧倒的な世界観は読むのもを引き付けて止まない。宗教、右極化する日本、性と悪、テロ。
ありとあらゆる人間の本能的な部分を暴き、晒していくその内容は今の日本と世界のリアルだ。
「事実は小説よりも奇なり」とはよくいったものだけれど、この本が連載されている間に「イスラム国」の動きが活発化し、安倍政権はどこまでも右によっていく。
政治の話は置いといて、世界と時代の流れを見事にとらえた著者渾身の作だと思う。陳腐な言い回しだけど最高傑作だと思う。

同時代の作家の中にこれだけの感性をもち、世界を創れる作家がいてくれることは本当に嬉しい。

文芸はどんなにインターネットや漫画が闊歩する世の中であってもきっと死なない。

「忘れられた巨人」カズオ・イシグロ著 読了

 

読み終わるまで二カ月半かかってしまった。つまらないとかそういうことではなくて、今の自分の生活の中であまり小説の為の時間が多くないだけである。50ページに二か月。残りは二日で読み終えた。

カズオ・イシグロファンの皆様も本作品の構成にはかなり驚かされたのではないだろうか。著者初のファンタジー小説。アーサー王伝説の時代背景を軸に、空想、ファンタジー要素を取り込みながら、二人の老夫婦の旅を描く、今までの彼の作品にはない挑戦的小説といえる。陳腐な表現をするとRPG的。自分の感覚において近しいものだと、昔読んだエンデの「はてしない物語」の読後感に近い。

寓話的かつ童話的なその流れのなかに、老夫婦のラブストーリーを感じる人も多いだろう。記憶との戦い。信頼。愛情。歩み。読み進めるなかで、長く一生をともにする夫婦にとって大事なものとは何なのかを考えさせられる場面も多い。

読んでいて映像が浮かぶ小説だった。そのロードムービーのようなストーリーのなかにでてくるのは鬼、竜、妖精といった世に言う想像上のもの。「鬼」って海外で認知されているのかは知らないけれど、日本人としては海外の小説に鬼が出てくるのはありがたい。イメージしやすい。乱暴なかんじだと文学的な桃太郎。

 

ファンタジー的要素の強い小説は個人的にはあまり好きではないのだけれど、久々に楽しめた。私のこの小説のイメージは「霧の小説」  シーン全体が霧に包まれている決して明るくない小説。

まるで、尾瀬ヶ原の朝靄のなかに常にいるような光景、シーンを想像する。

エンデが好きな人。ファンタジーが好きな人が読んでもきっと発見が多いと思う。

あとひとつ確実に言えること。この小説は必ず映画になる。これだけは読みながら確信しました。ファンタジーだけに読者各々が思い描くこの小説のイメージは様々。それがどんな風に映像化されるのか。

その日を楽しみに、、おやすみなさい。

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「『歌うクジラ(上)(下)』村上龍著 読了(2013年10月24日)」

まだKindleといった電子書籍もあまり一般的でないときにipad限定として電子書籍にて先行発売されたことで大きな話題を読んだ本である。ページをめくっていくとそれに合わせたBGM(坂本龍一担当!!)や画像が合わせて流れ、その小説の世界観を拡げようと試みた野心作らしい。

僕自身は電子媒体では小説は読んだことがないのでそれについて語ることは出来ない。興味はあるけれど、まだまだアナログな紙媒体が好きなのである。ということで、やっとこさ紙で文庫化されたので手にして読んでみた。

これは、村上龍の圧倒的な想像力によって描かれる今から百年後の暴力と虚無に支配された世界である。

正直な感想を言えば、ものすごい違和感と嫌悪感が混ざった複雑な感覚に導かれ、読後とても疲弊した。描かれる世界はわかりやすい言葉でいうと「エグい」というか、読みながら、ついていくのが精一杯だった。
助詞を崩した極めて読みにくい会話。あまりにも過激な描写と世界。 最近穏やかで静かな小説ばかり読んでいたので今の自分には刺激が強すぎた。

昔、同じような嫌悪感を感じたのが、他でもない村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を読んだ時だった。その荒廃的な内容に、当時高校生だった僕は読み進めながら何度もその世界から目を背けたものだ。

それから二十年がたち、結構なジャンルと量の小説を読んできたつもりだが、まさか同じ作家に二十年前と同じ感覚を呼び起こされるとは思わなかった。こういうことは他の作家では経験したことがない。

村上龍は日本代表する作家だけれど、その理由を身体的に感じた(それが嫌悪感であっても)読書だったかなって思う。この小説が十年二十年を経てどういう評価をされるかはわからない。ただ、思うに村上龍の小説は、同時代に読むことにこそ強い意味があるのではないだろうか。(了)

「『オー!ファーザー』伊坂幸太郎著 読了」 (常酔亭日乗2013年7月8日)

伊坂幸太郎は優れたストーリーテラーである。初めて「オーデュポン祈り」を読んで衝撃受けてから、ずっと彼の本は読み続けている。
ファンの方も多いのでは?

本書に限らずどの本も読みやすく、毎回読み進める手が止まらない。純粋なミステリーというわけでもなく、例えば東野圭吾のような謎解き的要素は少ないけれど、想像したこともない設定(本書ではお父さんが四人いるという奇妙な設定)から織り成される、先が想像できない小説は、他に類を見ない。

彼の作品が、映画化は困難と言われながらも多数映画化されている事実は、作品そのものに人を惹き付ける大きな魅力があることを証明していると思う。

本書の内容はファンの方の為にネタバレを避けて書きませんが、まあ面白かった。登場人物の四人のお父さん達の言動は含蓄があるようで押し付けがましくない。軽快なテンポで交わされる息子との会話は笑ってしまうことしばしば。一人一人のキャラクターが愛すべき人間達で、まるで落語の登場人物みたいに憎めない。

いろんなジャンルの本を読んで世の中を考えたり、知識を増やしたりする事も楽しいけれど、純粋にストーリーに身を委ねる読書は、その世界に没頭することで逆にリラックス出来るし、ストレス発散なっていいものである。

純文学といわれるものには違和感を感じる人も多いかと。そんな人にこそ、堅苦しくなくテンポのいい、伊坂幸太郎の小説がお薦めです。(了)

「復興の書店」 稲泉 連著 読了(2012年11月16日)

被災した数多くの書店の復興への道のりノンフィクション。

僕は本が好きです。読書が好きです。文学が好きです。そして書店が好きです。もはやそれは生活の一部であり、大袈裟だけど生きることの一部でもある。そう、生きるために日々食事をするように。

けれど、一時、丸3ヶ月以上小説とか、好きだった本を全く読まなくなった時期がある。

それがひたちなか市での被災直後3ヶ月。当事は食糧を求め、街を駆け巡ったり、茨城から東京へ戻ることもままならず、仲間とも家族とも連絡が途絶えた日々が続いてた。当然のことながら読書なんてする余裕はなかった。実家に何とか戻り、長い二週間の自宅待機中でも、メディアから流される震災の映像に釘付けで、有り余る時間を読書に費やそうなんて全く思わなかった。

けれど、逆に現地の避難所では食糧や生活物質の供給が落ち着くと、それと同じように活字が求め始められていた。プライバシーのない生活。ストレスのたまる集団行動。そんななかで、いっときでも一人の時間に没頭できる読書を人は求め、ネットも電話もままならないなかで、人は活字の情報を求めていたことがこの本からよく伝わる。勿論、文学だけでなく本屋が扱う地図や、求人情報紙。中古車情報紙のように必要に迫られたものもあるが、子供達に日常を少しでも取り戻させようと、児童書や漫画も多く求められていた。

きっと書店や読書は”小さな日常”を取り戻せる場所と行為だったのだろう。

僕自身、読書を再開しはじめた時に初めて「いつもの自分が却ってきた」と思えた。

以下、表紙の言葉です

「本の力を借りて
言葉の力を借りて
そして私たち自身が元気でいれば
誰かの涙を乾かすことくらいできるんじゃないかな」

心おきなく読書ができる今の日常に感謝。小さくても頑張ってる地元の街の書店に感謝。

「やし酒のみ」 エイモス・チュッオーラ著 岩波文庫読了(2012年11月24日))

ジャケ買いならぬ、題名買い!!そもそも「やし酒のみ」ってなんだ!?、、てのが購入の動機。

これがまた凄い小説だった。完全に心を鷲掴みにされた。

粗筋はこう。

やし酒(ココナッツのお酒)を飲む事しか能がない男が、死んでしまった自分専属のやし酒造りの名人を呼び戻すために「死者の町」へ向けて旅に出る。

という話。

もう出だしからぶっ飛んだ設定。この主人公、同時期に父親も亡くすのだが、まったく関係なし。呼び戻したいのはあくまで「やし酒造りの名人」。
そして彼が住む「死者の町」へ向かうまでに奇妙な生き物や神と出会い、数々の恐怖と戦っていく。

これはアフリカ文学らしいのだが、森林(ブッシュ)に対する畏敬の念が色濃く表現されていて、日本の山岳信仰に似たものを感じた。出てくる生き物たちも「百鬼夜行」のようだ。イザナミ、イザナギの「古事記」にも共通するものがある。

きっとアフリカの民話とかを知っていたら、さらに理解が深まったであろう。

また、新たな作家に出会えた。こういう瞬間は読書していて本当に嬉しい瞬間だ。新しい世界が一気に拡がる!

「本へのとびら ー岩波少年文庫を語る」宮崎駿著 岩波新書読了(2011年12月4日))。

ジブリの宮崎駿がお薦めの岩波少年文庫について熱く語っています。少年少女時代に岩波少年文庫を食い入るように読んだ方も多いのでは?そんな方は是非手にとって見てください。紹介されている表紙だけで当時読んだ記憶が蘇ります。
「ドリトル先生航海記」とか「星の王子様」とか「飛ぶ教室」とか、数え上げればきりがない名作揃いの岩波少年文庫。実家で読み返そうと思ったけど、全て僕より後から生まれた従兄弟たちにあげてしまったとのこと。残念。

唯一、僕が一番のお気に入りだった「冒険者たち」が宮崎駿の選に漏れたことが不満でなりません。

「遠い山なみの光」 カズオ・イシグロ著 早川書房読了(2011年12月21日)

久々の小説。このところノンフィクションばかり読んでいたので何となく新鮮な気持ちでフィクションの世界に浸ることが出来た。
とはいえ、内容はリアリズム。読後感は決して爽やかではない。人生における転換期において、人がどのように自己の過去を振り返り、その記憶を精算していくか。そういう誰にでも起こりうる感情、状況を一人の女性の記憶と現在を通じて表現している。
けれど、最後まで現実と記憶のなかの風景は決して直接リンクしているようには思えず、過去と現在が分裂しているような感覚のまま終わった。ここらへんは読む人によって感じ方が変わるのだと思う。

 カズオ・イシグロは1954年に日本の長崎に生まれ、五才まで日本で過ごし、その後家族と共にイギリスに渡り、83年に英国籍を取得し今では英文学界ではなくてはならない存在となっている(らしい)。
本小説も著者のその幼少の記憶をベースに書かれているのだと思う。これから全作品を読み進めていく予定。村上春樹が好きな人であれば、とっつきやすい作家かもしれません。

「ノモンハンの夏」半藤一利著 文春文庫読了(常酔亭日乗2011年12月15日)

先日、太平洋戦争開戦から70年が経過しましたが、本書はその泥沼の戦争に入る前に起きた、満蒙の国境線を巡る悲劇「ノモンハン事件」について著者が詳細に取材し明確に記したノンフィクション。
まあ、政治的な発言はブログ上では微妙なところですが読後感を少し。

 結局当時の失敗は、大本営参謀本部作戦課と、関東軍作戦課(中央と現場)の一部のエリート集団のコミュニケーション不足と情報不足、そして戦闘においての過度な精神主義が招いたものだとよくわかる。

この事件後、日本の大本営は同じ失敗を終戦までひたすら繰り返していくのだが、こういう痛ましい過去を知ると、原発問題に代表されるように現代も形は違えど、同じ失敗を繰り返しているのでは?と感じてしまう。

戦争でも原発でも、大事なことを何も知らず、知らされず、犠牲になるのは一体誰なのか?物事の大事なことは意外とシンプルなはずだと歴史が証明していると思うし、歴史から学ぶべきだと思う。。