月別アーカイブ: 2015年4月

「復興の書店」 稲泉 連著 読了(2012年11月16日)

被災した数多くの書店の復興への道のりノンフィクション。

僕は本が好きです。読書が好きです。文学が好きです。そして書店が好きです。もはやそれは生活の一部であり、大袈裟だけど生きることの一部でもある。そう、生きるために日々食事をするように。

けれど、一時、丸3ヶ月以上小説とか、好きだった本を全く読まなくなった時期がある。

それがひたちなか市での被災直後3ヶ月。当事は食糧を求め、街を駆け巡ったり、茨城から東京へ戻ることもままならず、仲間とも家族とも連絡が途絶えた日々が続いてた。当然のことながら読書なんてする余裕はなかった。実家に何とか戻り、長い二週間の自宅待機中でも、メディアから流される震災の映像に釘付けで、有り余る時間を読書に費やそうなんて全く思わなかった。

けれど、逆に現地の避難所では食糧や生活物質の供給が落ち着くと、それと同じように活字が求め始められていた。プライバシーのない生活。ストレスのたまる集団行動。そんななかで、いっときでも一人の時間に没頭できる読書を人は求め、ネットも電話もままならないなかで、人は活字の情報を求めていたことがこの本からよく伝わる。勿論、文学だけでなく本屋が扱う地図や、求人情報紙。中古車情報紙のように必要に迫られたものもあるが、子供達に日常を少しでも取り戻させようと、児童書や漫画も多く求められていた。

きっと書店や読書は”小さな日常”を取り戻せる場所と行為だったのだろう。

僕自身、読書を再開しはじめた時に初めて「いつもの自分が却ってきた」と思えた。

以下、表紙の言葉です

「本の力を借りて
言葉の力を借りて
そして私たち自身が元気でいれば
誰かの涙を乾かすことくらいできるんじゃないかな」

心おきなく読書ができる今の日常に感謝。小さくても頑張ってる地元の街の書店に感謝。

「やし酒のみ」 エイモス・チュッオーラ著 岩波文庫読了(2012年11月24日))

ジャケ買いならぬ、題名買い!!そもそも「やし酒のみ」ってなんだ!?、、てのが購入の動機。

これがまた凄い小説だった。完全に心を鷲掴みにされた。

粗筋はこう。

やし酒(ココナッツのお酒)を飲む事しか能がない男が、死んでしまった自分専属のやし酒造りの名人を呼び戻すために「死者の町」へ向けて旅に出る。

という話。

もう出だしからぶっ飛んだ設定。この主人公、同時期に父親も亡くすのだが、まったく関係なし。呼び戻したいのはあくまで「やし酒造りの名人」。
そして彼が住む「死者の町」へ向かうまでに奇妙な生き物や神と出会い、数々の恐怖と戦っていく。

これはアフリカ文学らしいのだが、森林(ブッシュ)に対する畏敬の念が色濃く表現されていて、日本の山岳信仰に似たものを感じた。出てくる生き物たちも「百鬼夜行」のようだ。イザナミ、イザナギの「古事記」にも共通するものがある。

きっとアフリカの民話とかを知っていたら、さらに理解が深まったであろう。

また、新たな作家に出会えた。こういう瞬間は読書していて本当に嬉しい瞬間だ。新しい世界が一気に拡がる!

「本へのとびら ー岩波少年文庫を語る」宮崎駿著 岩波新書読了(2011年12月4日))。

ジブリの宮崎駿がお薦めの岩波少年文庫について熱く語っています。少年少女時代に岩波少年文庫を食い入るように読んだ方も多いのでは?そんな方は是非手にとって見てください。紹介されている表紙だけで当時読んだ記憶が蘇ります。
「ドリトル先生航海記」とか「星の王子様」とか「飛ぶ教室」とか、数え上げればきりがない名作揃いの岩波少年文庫。実家で読み返そうと思ったけど、全て僕より後から生まれた従兄弟たちにあげてしまったとのこと。残念。

唯一、僕が一番のお気に入りだった「冒険者たち」が宮崎駿の選に漏れたことが不満でなりません。

「遠い山なみの光」 カズオ・イシグロ著 早川書房読了(2011年12月21日)

久々の小説。このところノンフィクションばかり読んでいたので何となく新鮮な気持ちでフィクションの世界に浸ることが出来た。
とはいえ、内容はリアリズム。読後感は決して爽やかではない。人生における転換期において、人がどのように自己の過去を振り返り、その記憶を精算していくか。そういう誰にでも起こりうる感情、状況を一人の女性の記憶と現在を通じて表現している。
けれど、最後まで現実と記憶のなかの風景は決して直接リンクしているようには思えず、過去と現在が分裂しているような感覚のまま終わった。ここらへんは読む人によって感じ方が変わるのだと思う。

 カズオ・イシグロは1954年に日本の長崎に生まれ、五才まで日本で過ごし、その後家族と共にイギリスに渡り、83年に英国籍を取得し今では英文学界ではなくてはならない存在となっている(らしい)。
本小説も著者のその幼少の記憶をベースに書かれているのだと思う。これから全作品を読み進めていく予定。村上春樹が好きな人であれば、とっつきやすい作家かもしれません。

「ノモンハンの夏」半藤一利著 文春文庫読了(常酔亭日乗2011年12月15日)

先日、太平洋戦争開戦から70年が経過しましたが、本書はその泥沼の戦争に入る前に起きた、満蒙の国境線を巡る悲劇「ノモンハン事件」について著者が詳細に取材し明確に記したノンフィクション。
まあ、政治的な発言はブログ上では微妙なところですが読後感を少し。

 結局当時の失敗は、大本営参謀本部作戦課と、関東軍作戦課(中央と現場)の一部のエリート集団のコミュニケーション不足と情報不足、そして戦闘においての過度な精神主義が招いたものだとよくわかる。

この事件後、日本の大本営は同じ失敗を終戦までひたすら繰り返していくのだが、こういう痛ましい過去を知ると、原発問題に代表されるように現代も形は違えど、同じ失敗を繰り返しているのでは?と感じてしまう。

戦争でも原発でも、大事なことを何も知らず、知らされず、犠牲になるのは一体誰なのか?物事の大事なことは意外とシンプルなはずだと歴史が証明していると思うし、歴史から学ぶべきだと思う。。

「根をもつこと」(上下巻)シモーヌベイユ著 岩波文庫読了。

人間は、場所、出生、職業、人間関係等に自然に参与することで「根」を持つ。そしてその「根をもつこと」に対する欲求は重要な欲求なのだそうだ。
内容のほとんどがフランスの歴史を背景に書かれているため、いまいちピンと来なかったが、「根」への欲求という部分は何となく感じることができた。

土地を持つ農業を生業にしているかたは、その土地が「根」であろうし、宗教がある人はその思想が「根」になる。

自分にとって「根」とは?いろいろ考えさせられます。

「アウシュヴィッツは終わらない」 プリーモレービイ著 朝日選書読了(常酔亭日乗 2011年12月4日))

アウシュヴィッツを生き延びた、あるイタリア人生存者の記録、考察。

人間を人間として扱われない、考えることが即、死につながるような地獄の日々、生活の証言。直接本人が経験してきたことが、淡々と語られているのだが、その実体験は想像を絶する世界であったことがよくわかる。
物事を考え、自分で判断して動くことがすなわち死を意味する世界に生きる人間はもはや人間にはなりえない。

 過去も現代においても、私たちの存在は私たちのものであると同時に、周りにいる人達の心の中にある。だからこそ自分が他人から物とみなされる経験をしたものは、人間性が破壊されるのだろう。

では近現代の日本においてこうした人間性の破壊は起きてないかというと、きっとそんなことはない。戦争中は軍国封建主義、戦後は会社封建主義という歴史のなかの延長戦に今がある。

暗い書き込みでスミマセン。でも過去の人類の負の歴史を知ることで考える現代がある。そう思える本でした。少なくとも今、心が穏やかで、自分で自分を考えられる日常に感謝。

昔「アンネの日記」を読んで悲痛な思いをもった方。その続きがこの本に書かれている現実です。是非多くの人に読んで欲しいと思います。暗いけど、、

『たまには翻訳なぞ』(常酔亭日乗第十三夜)2013年6月8日

 

「IN MY LIFE」

(J.Lennon & P.McCartney)

There are places I’ll remember All my life, though some have changed, Some forever not for better, Some have gone and some remain.

All these places had their moments With lovers and friends I still can recall.

Some are dead and some are living. In my life I’ve loved them all

But of all these friends and lovers, there is no one compares with you, And there memories lose their meaning When I think of love as something new.

Though I know I’ll never lose affection for people and things that went before, I know I’ll often stop and think about them, In my life I’ll love you more

Though I know I’ll never lose affection for people and things that went before I know I’ll often stop and think about them,

In my life I’ll love you more.

In my life I’ll love you more.

 

僕の記憶の中にある場所がある 生きていく中でいくつかの場所は変わってしまったし 失くなった場所もある 永遠に変わらない場所もある 

全ての場所には思い出があり 恋人や仲間達との時間がそこにある 

永遠の旅に出てしまった人もいるし、変わらずに生きている人もいる これまでの人生の中で、僕は全てを愛してきた

今まで出会った仲間達や過ぎ去った日々へ想いは決して無くならない。それはわかっている。 時々立ち止まって彼等のことを想うだろう

けれど、僕が人生の中で何より愛してるのは、君なんだ。全ての友人や恋人達の中に 君と比べられる人はいない

これからも人生の中で、僕は君を変わらず愛するだろう

 

「いやー、翻訳ってやってみると難しいですね!! 英語の読解力はもちろんだけれど日本語の表現力がないとダサイ和訳になっちゃうね。久々に頭使ったわ。

文法的に間違ってたり、拡大解釈してるところもあるでしょう。これは歌だから、多目にみてください。ってことでビートルズです。

In my life I’ll love you more. のyouを今の人と解釈するか過去の旅立った人するか迷ったけれど、僕は「過去の人」としました。なぜなら震災の後にしばらく時間が経ってから聞いた時に、この歌が僕には鎮魂の歌に聴こえたから。

『今、あなたはここにいないけれど変わらず私はあなたを愛し続けるだろう』

今はそう解釈して聞いてます。いつかその解釈は僕の中では変わっていくかもしれないけれど。。本当に本当にいい歌です。」
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旅行ねえ・・・

日光白根山(にっこうしらねさん)は、栃木県日光市群馬県利根郡片品村の境界にある標高2,578mの。日光白根山の山体は成層火山であるのですが、最高峰の奥白根(おくしらね)は安山岩のみから成る溶岩円頂丘です。関東地方の最高峰でして、深田久弥日本百名山のひとつです。(ウィキペディアより)

まあ、とりあえず折角写真撮ったから紹介しただけで、今回のブログで言いたいことはそういうことではない。

 

最近、っというかここ二年くらい休日というと山かスキーで、さらに最近では岩まで入ってきたのである意味忙しい。今はそれが一番たのしいのだから特に問題ないのだけれど、旅行って全然してないなあと思うわけです。確かに日本のアルプスやら、各地のスキー場やら、岩場やらを転々としているとそれは結構な移動を伴うわけで、広義では旅行ともいえる。でも世の中で「旅行」というとそういうスキーや登山といったある意味特殊な行動を伴うものではなくて、訪れてみたい観光地があったり、その土地の空気や歴史に触れたりすることが旅行なのではないだろうか?

じゃあ、旅行に興味がないのかといわれると決してそんなことはない。FBでアップされる仲間たちの旅行の記録や、本に刻まれた旅行記などを読むと、やはり国内海外問わず、様々な地域に訪れてみたいという欲求は常にもっている。

ただ、今の生活のなかで普通の旅行というものの優先順位が低いだけである。

自分のなかで、登山やスキーが旅行と思えればそれでいい。みたい景色に向かうことも旅、登りたい山に行くことも旅。岩を求めることも旅。

そりゃあそうなんだけれども、、たまにはなんにもしない温泉旅行とかも、やっぱり楽しいのかなあとちょっと最近思ったりもする。うまい酒飲んで、美味い地のものをたらふく食べて。最近そういうの忘れてるなあなんて思うわけです。

 

あれ??ただの旅行行きたい!ってだけのつぶやきになっちゃった。まあいっか。

みなさん、いい旅してますか?

そのうちまた「旅猿」もやらないとね。
それではみなさん、おやすみなさい。
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