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退屈な6月と紫陽花

みなさんおはようございます。お暇な方の朝のお供「常酔亭日乗」です。

久々の更新です。6月は嫌ですね。雨が多くて。

この土日は珍しく晴れており、夏の訪れを感じます。「波乗りジョニー」です。青い渚を走って恋の季節がやってきます。TUBEの歌が聞こえてきます。「あー夏休み」暑苦しい。

 

さて、最近わたくしは早起きでして、朝から呑気に、じいさんよろしく散歩なんぞしているわけですが、ほんの数十分の散歩の中に季節の移ろいを感じるわけです。サンダルでペタペタと歩きながら春は桜を一人で愛でたり、冬は寒さを一人で感じたり、秋は一人で紅葉に感動したりとまあ情緒ある散歩です。いちいち「一人で」って書かなくてもいいですが散歩は一人にかぎります。

 

今日は梅雨の晴れ間ということでこれまたのんびり散歩してましたが、まあ、綺麗に咲いておりました。アジサイが。漢字で書くと「紫陽花」です。漢字のほうが色っぽいというか花の艶を感じますね。

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のんびり歩きながらふと、紫陽花についてググったりしてみました。散歩しながらスマホはもはや現代病です。

いやー驚きました。なんと「あじさいには毒がある」とのこと。厚生省のHPにのってるぐらいなのであるていど信用できる情報でしょう。

花に青酸カリ的な成分が入っているらしく、食わなきゃいいってだけのことで別に剪定とかそういうことにはなんの影響もないらしいのですが。刺身のツマに紫陽花が飾ってあっても食べてはいけないとのこと。酔って紫陽花食べて痙攣しないようにしましょう。

まあよく言う「きれいな花には毒がある」ってやつです。

 

あと、ちょっとショックだったのが花言葉。

紫陽花にもいろいろ種類があるのでいろんな花言葉があるのだけれど総じて印象がよくない。

「移り気」「冷淡」「辛抱強さ」「冷酷」「無常」「高慢」

なんでしょうねえ。なんというか「まわりから高嶺の花といわれているけど嫌われがちな女性」的な印象を受けますねえ。それでもこういう花に惹かれてしまうのはアホな男子の習性でしょうか。

ん?何の話だ?

 

話をまとめると「梅雨はじめじめ、紫陽花には毒があり、ぼーっとしていろんな毒気にやられないようにしましょう」ということです。

 

まとまってねーや。退屈な朝の物思いでした。

それではみなさん、よい日曜日を!!

「『歌うクジラ(上)(下)』村上龍著 読了(2013年10月24日)」

まだKindleといった電子書籍もあまり一般的でないときにipad限定として電子書籍にて先行発売されたことで大きな話題を読んだ本である。ページをめくっていくとそれに合わせたBGM(坂本龍一担当!!)や画像が合わせて流れ、その小説の世界観を拡げようと試みた野心作らしい。

僕自身は電子媒体では小説は読んだことがないのでそれについて語ることは出来ない。興味はあるけれど、まだまだアナログな紙媒体が好きなのである。ということで、やっとこさ紙で文庫化されたので手にして読んでみた。

これは、村上龍の圧倒的な想像力によって描かれる今から百年後の暴力と虚無に支配された世界である。

正直な感想を言えば、ものすごい違和感と嫌悪感が混ざった複雑な感覚に導かれ、読後とても疲弊した。描かれる世界はわかりやすい言葉でいうと「エグい」というか、読みながら、ついていくのが精一杯だった。
助詞を崩した極めて読みにくい会話。あまりにも過激な描写と世界。 最近穏やかで静かな小説ばかり読んでいたので今の自分には刺激が強すぎた。

昔、同じような嫌悪感を感じたのが、他でもない村上龍の「限りなく透明に近いブルー」を読んだ時だった。その荒廃的な内容に、当時高校生だった僕は読み進めながら何度もその世界から目を背けたものだ。

それから二十年がたち、結構なジャンルと量の小説を読んできたつもりだが、まさか同じ作家に二十年前と同じ感覚を呼び起こされるとは思わなかった。こういうことは他の作家では経験したことがない。

村上龍は日本代表する作家だけれど、その理由を身体的に感じた(それが嫌悪感であっても)読書だったかなって思う。この小説が十年二十年を経てどういう評価をされるかはわからない。ただ、思うに村上龍の小説は、同時代に読むことにこそ強い意味があるのではないだろうか。(了)