春の「痛み」


もうすぐ春ですね。恋をしてみませんか?
まあ、言いたいことはそういう悠長な話ではない。

気がつけば3月も終わりに近づき、そろそろ桜咲き舞い散る儚い4月を迎えようとしてます。一年前にもFB上でこのブログと同じ「常酔亭日乗」を書き始めた時も同じように書きましたが、春というのは大きな変化の季節。気持ち、心が変化についていくのが精いっぱいであまり好きな季節ではない。自分が生まれた季節でもあるのだけれど。

おそらく、そういう部分については多くの人が感じるのではないでしょうか?転勤、異動もあるでしょうし、子供たちは卒業や入学があって大きな不安と期待を抱えます。

この感じ、感覚というのは不思議なもので毎年やって来ます。例年四月の自分の誕生日に感じることが多いのですがこの感じは今年、少し早くやってきました。

大げさな事を言うようですが、「春」という季節、そして「桜」というのはほかでもなく、大げさでもなく変化と共に「人生」、そして「生と死」を喚起させる季節なのだからかもしれません。

安岡章太郎氏の文章で「春は残酷な季節だ」という言葉がありますが、春は別離の季節でもあり、出会い始まりの季節でもあるということを的確に表現されている文章である。

「始まりは痛みの季節」でもある。春には過ぎ去った季節の想いも自分の中で交錯します。それは変化なのだろうからよいこと悪いことも含むのだろうけれど、過ぎ去って還らないその季節達を強く感じることが「痛み」なのかもしれない。そしてめぐる季節がその「痛み」を和らげることもある。

自分の中で大きく変わったこともある。周りの仲間も変化も伴う。ありがたいことに自分の周りでは、喜ばしいことが多いのだけれど過ぎ去った季節の中には失ったものも多い。その「不在」の感覚を強く、桜の季節とともに感じることが多いのが「春」という季節なのかもしれません。桜は季節の巡りと共に、今年も満開に咲き誇ります。
そのなかで我々は、失わなかった大事なものと、新たに訪れるものを意識することができる。

「春の痛み」。そんなことを考えた朝でした。その「痛み」を感じることができるのは、案外素敵なことであるのかもしれない。春が来て、人が生きてその意味を追及していく時間。毎年やってくる「変化」を前に、そんなことを思いました。

人が「桜」を見たいのは、どこかでその「痛み」を感じながら自分を見つめたいのだからかもしれません。

 

 

 


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